HBrのラジカル付加
HBrのラジカル付加(過酸化物効果・逆マルコフニコフ付加):プロペン CH₂=CHCH₃ + 臭化水素 HBr が過酸化物 ROOR の存在下で反応し、1-ブロモプロパン BrCH₂CH₂CH₃ を与える。過酸化物が熱で割れて生じたラジカルが連鎖を点火し、臭素ラジカル Br・がアルケンに付加する経路で進む。臭素は末端の炭素へ、水素は内側の炭素へ付く——過酸化物のない極性条件(マルコフニコフ付加)とは臭素の向きが逆になるので『逆マルコフニコフ付加』『過酸化物効果』とよばれる。開始・成長・停止からなるラジカル連鎖機構の代表例。
巻矢印はA=攻撃 / B=脱離・π形成 / C=プロトン移動 / F=単電子移動(片羽=電子1個)。本文の (A)(B)(C)(F) は図中の同色の矢印を指します。
試薬・条件Δ(加熱)
このページの矢印はこれまでの反応と読み方が違う。ふつうの巻矢印(A/B/C)は電子を2個まとめて運ぶ両羽の矢印だが、ラジカル不対電子を1つ持つ、反応性の高い化学種。電荷を持たないことが多い。反応で使う片羽(fishhook)矢印は電子を1個だけ運ぶ。矢印1本=電子1個だと思って追うこと。/過酸化物 CH₃O–OCH₃ は O5–O6 結合が弱く、加熱するとここが均等に割れる(ホモリシス)。O5–O6 の結合電子2個が1個ずつ左右の酸素へ分かれるので、片羽矢印を2本描く。不対電子を1個ずつ持つアルコキシラジカル CH₃O5・と ・O6CH₃ が2個できる。これが連鎖に火をつける開始段。
なぜイオンでなく2個のラジカルに割れるのか:O–O は同種原子どうしで結合がもともと弱く(結合解離エネルギーが小さく)、しかも無極性なので、片側へ電子2個を寄せて O⁺/O⁻ に分けるヘテロリシスは電荷分離のコストが高い。均等に1個ずつ分けるホモリシスのほうがはるかに低いエネルギーで進み、穏やかな加熱で到達できる。だから過酸化物はラジカルの供給源(開始剤)としてはたらく。
試薬・条件HBr
開始①で生じたアルコキシラジカル不対電子を1つ持つ、反応性の高い化学種。電荷を持たないことが多い。 CH₃O5・が、臭化水素 H8–Br9 から水素原子 H8 を引き抜く。ここは片羽矢印3本の玉突きになる。まず H8–Br9 の結合電子2個が1個ずつに分かれ、1本は新しい O5–H8 結合をつくりに動き、もう1本は臭素 Br9 に残る。さらに O5 の不対電子1本が、その新しい O5–H8 結合に加わる。結果、O5 は水素を得てメタノール CH₃O5H8 になり(不対電子を失って閉殻になる)、Br9 に不対電子が1個残って臭素ラジカル Br9・ができる。開始剤のラジカルが、連鎖を実際に回す担い手 Br・へバトンを渡す段。
なぜこの引き抜きが容易か:生成する O5–H8 結合はとても強く(アルコールの O–H)、切れる H8–Br9 結合は比較的弱い。強い結合ができて弱い結合が切れるので発熱で下り坂になり、開始剤ラジカルは速やかに Br・へ置き換わる。ここで生まれた Br・が次からの成長サイクルを担う。
試薬・条件プロペン
成長サイクルの1段目。臭素ラジカル不対電子を1つ持つ、反応性の高い化学種。電荷を持たないことが多い。 Br9・がプロペンの二重結合 C1=C2 の末端炭素 C1 に付加する。片羽矢印3本の玉突きで進む。まず C1=C2 のπ電子2個が1個ずつに分かれ、1本は新しい C1–Br9 結合をつくりに動き、もう1本は内側の炭素 C2 に残る。さらに Br9 の不対電子1本が、その新しい C1–Br9 結合に加わる。結果、Br9 は末端 C1 に結合し、不対電子は内側の C2 に移って2級の炭素ラジカル BrCH₂–C2H・–CH₃ ができる。σ結合 C1–C2 はそのまま残り、二重結合のπ成分だけがほどける。
Q.なぜ Br は末端の C1 に付き、ラジカルは内側の C2 に残るのか。既公開の『HBrのマルコフニコフ付加』では Br は内側 C2 に付くのに、なぜ逆になるのか
A.どちらの向きも起こりうるが、選ばれるのは『より安定な中間体反応の途中で一時的にできる、ある程度の寿命を持つ化学種。遷移状態とは別物である。を経る側』で、これはマルコフニコフ付加とまったく同じ原理である。違うのは律速の中間体が何かだ。過酸化物なしの極性条件では、まずプロトン H⁺ がアルケンに付いてカルボカチオン炭素の上に正電荷を持つ、電子が足りず不安定な中間体。置換基の多い3級ほど安定になる。ができ、2級>1級で安定な2級カチオンを与えるように H が末端に付く——だから Br は内側 C2 に付く(マルコフニコフ)。過酸化物ありのラジカル条件では、先にアルケンに付くのは H⁺ ではなく Br・で、律速の中間体は炭素ラジカルになる。炭素ラジカルもカルボカチオンと同じく2級>1級で安定なので、より安定な2級ラジカルを内側 C2 に残す側、すなわち Br が末端 C1 に付く側が選ばれる。『安定な中間体を経る』という原理は共通で、先に付く粒子が H⁺(→カチオン)か Br・(→ラジカル)かが入れ替わるだけ。だから見かけ上 Br の向きがひっくり返り、逆マルコフニコフになる。
試薬・条件HBr
成長サイクルの2段目。前段でできた2級炭素ラジカル不対電子を1つ持つ、反応性の高い化学種。電荷を持たないことが多い。 BrCH₂–C2H・–CH₃ が、新しい臭化水素 H10–Br11 から水素原子 H10 を引き抜く。開始②と同じ片羽矢印3本の玉突きになる。まず H10–Br11 の結合電子が1個ずつに分かれ、1本は新しい C2–H10 結合をつくりに動き、もう1本は Br11 に残る。C2 の不対電子1本も、その新しい C2–H10 結合に加わる。結果、C2 は水素を得て閉殻になり、1-ブロモプロパン BrCH₂–CH₂–CH₃ が完成する。同時に Br11 に不対電子が残って臭素ラジカル Br11・が再生する。この Br11・が段3へ戻り、段3→段4が何千回も回る(連鎖の車輪)。臭素は末端の炭素に付いたまま=逆マルコフニコフの生成物である。
Q.この段で連鎖はどう自立するのか。停止(連鎖の終わり)は起きないのか
A.段4は消費した Br・を再生しながら生成物を出すので、開始で1個ラジカルを作れば成長サイクル(段3⇄段4)が自己回転する——開始1回あたり何千回も回り、少量の過酸化物で大量の生成物ができる。連鎖を断つ停止(ラジカルどうしが出会って不対電子を対にする段)は、ラジカルの定常濃度がごく低いためまれにしか起きないが、確かに存在する。その一例を次の段5で見る。
試薬・条件(ラジカル濃度が上がったとき)
連鎖を断ち切る停止段。成長①でできた2級炭素ラジカル不対電子を1つ持つ、反応性の高い化学種。電荷を持たないことが多い。 BrCH₂–C2H・–CH₃ が、系内に生じていた臭素ラジカル Br12・と出会うと、互いの不対電子が片羽矢印1本ずつで新しい C2–Br12 結合に入り、対をつくって1,2-ジブロモプロパン BrCH₂–C2HBr–CH₃ になる。ラジカルどうしの再結合は不対電子を消すだけで新しいラジカルを生まないので、連鎖の車輪が1本止まる。この生成物は成長サイクルの外へこぼれた副生成物(臭素が2個入った過剰付加体)で、主生成物の1-ブロモプロパンとは別物である。停止はこの2級炭素ラジカル+Br・→1,2-ジブロモプロパンのほか、Br・+Br・→Br₂、2級炭素ラジカル2個どうしの再結合(BrCH₂CH(CH₃)–CH(CH₃)CH₂Br)なども起こりうる。
なぜ停止は連鎖全体から見ると稀か。ラジカルの定常濃度はごく低いので、低濃度どうしのラジカルが互いに出会う停止より、ラジカルが豊富な基質(プロペンや HBr)と出会う成長のほうがはるかに頻繁に起こる。だから開始1回あたり成長が何千回もまわり、停止はときおり連鎖を1本畳むにとどまる。連鎖が長く続くのはこのためである。
同じ中間体・対になる選択性・連続する変換など、位置の近い反応です。反応マップで全体の中での位置も見られます。
原子の保存・電子の流れ・生成物への到達を機械で検証しています。妥当な経路は複数ありえます。
| 矢印⇄結合変化の整合 | 整合 — fail=0 / check=0(全5段) |
|---|---|
| 電荷保存 | 保存 — 全段で電荷保存 |
| 中間体の鎖の連続 | 連続 — 中間体の鎖が連続 |
| 生成物への到達(内部整合) | 到達 — 看板の生成物が機構中で実際に生成 |
| 生成物の分子式 | C3H7Br |
| PubChem 照合 | 緑・完全一致(CID 7840) 1-bromopropane |